3ヶ月ぶりの沖縄 今までにない心境になりました
3ヶ月ぶりの沖縄
行く前に今までにない新鮮な心境になりました
それは
不完全な今の自分が
必要なものを11歳に
沖縄で教わってきているんだ という気持ち
もう
自己啓発じゃん
この感覚は彼が生まれてからずっとある
今回も気づきがありました
特に何かしてあげようとか思わなくても
一緒に時間を共有しているという喜びだけで十分幸せで
その気持ちを素直に出せばそれでいいんだってこと
離れたのは5歳8ヶ月の時でした
それから50回以上会っていますが
毎回遊ぶ場所は決まっていて
ほんと そこしかないんかい と思うくらい
必ず熱望していたのがラウンドワン
でもコロナになって
こちらが「ラウンドワン行けるかな?」
と相談すると
「コロナだからラウンドワンはやめておこう モロ密じゃん」と
即答するくらい
衝動的な感情に流されず考えることができる人になったと
感心しています
そんな彼でも
3歳とか4歳くらいの頃は
まあ自由で
大人の手を煩わせるような子でした
でもなんでもうまくできないのが子ども
子どもは快不快を感じる大きさが
大人の16倍
つまづいて痛かったり
食べたいものをこぼしたり
欲しいものを落として壊したり
それから
大人に希望を聞き入れてもらえなかったり
不快の感情を
泣く
という行為で表現します
僕は
自分の子どもと離れて暮らすようになってから
外でよその親子を見る時
あるシーンを見ると
決まって心がざわざわします
それは
子どもが泣いている
のを見た時
もう少し詳しく言うと
泣いている子どもに対しての
親の対応
「ほら!もうーーー
だから言ったでしょ!自業自得なんだよ!」
と ほら見たことか 的な感情を出す親
子どもはもっと泣くボルテージが高まる
そして最終的に
そのままほっておかれて
置き去りにされて
それでも泣き続ける子どもは
ほっておかれ続けると
最後は泣くのをやめます
今でもこのシーンを想像するだけで
心が痛くなります
この子は今どんな気持ちなんだろうって
このざわざわは
過去の自分の幼少期の寂しさを重ねているのと
会えない子どもが愛おしくなる気持ちが
出てくるのかもしれません
子どもの感じ方は快は不快かが中心になります
愛情を与え
存在や価値を認める言葉かけや
スキンシップをすることで
こどもの感情を大切に育ててあげることが本当に大切
子どもだから
うまくできない
落ち着きがない
悪さしてしまう
のは当たり前
そんな時に自分の感情を表現したのに
親に
厳しく自業自得だと否定されたり
ほっておかれたり
された子どもの気持ちは
悲しみ
不安
怒り
失望
諦め
大人の16倍で駆け巡ります
「泣けない」から
「泣かない」に
自分が思った感情を出すことで
こんなに辛い思いをするのなら
感情なんか出さずに
大人しくしていよう
そうすればうまく生きていける
と自分に言い聞かせる
そして感情を籠らせる
泣かない、強くなければならない
そうしないと親の「こうあってほしいと」に背く
そうなったら生きていけないかもしれない
これが当たり前になる
そのまま成長して
14歳15歳くらいになって
あの頃感情に気づいて欲しかった
幼い頃のやり残しが出てきて
抑えきれなくなって
気づいてもらえなかったことへの反発
悲しみ寂しさが
親や周囲への反発
感情を閉ざして引きこもる
になったりする
表面的な反抗の奥には
わかって欲しかった
甘えさせて欲しかった
構って欲しかった
認めて欲しかった
があることに気づくこと
感情表現が素直にできないのです
だから
暴れる子には
愛情で満たしてあげること
抱きしめてあげること
引きこもりは心を閉ざしてしまった
ひとりぼっちの状態
親でなくてもいい
親は当事者だから素直に感情を出せない
子ども自身が感情を出せる人
他の誰かとつながりを作ってあげる
僕もまだまだですが
その行動の発言の奥には
どんな気持ちがあるのか
そこを考えられるゆとりを持てれば
色々なことがうまくまわって
もっと楽に生きられるのかもしれません