僕は演じることで何を守りたかったのか その2
前回の日記に引き続いて名古屋での学びのシェアと
自分のことをシェアしていきます。
まとめる作業はしんどいですね笑
しっくりくるものを探しながらのアウトプットです。
時間ある方お読みください。
人はどんなに自分の価値を下げるような働きかけをされても
愛情を受けたいが勝つ生き物である。
10回暴力を受けても、1回愛情を受けていると感じたら
そこにしがみつく。
それを愛情だと思うことで心を満たそうとする。
ただそんな愛情では絶対的に不足している。
一方で暴力を振るう側もまた承認のコップが満たされていないので
暴力という 「他者否定」を
することで
承認のコップを見たそうとする。
愛情を受けたものしか愛情を
与えることはできない。
与えているようでも、
それは条件付きの愛情になる。
いい子にしていたら
テストでいい点を取ったら
周りに迷惑をかけなかったら
逆らわなかったら
子供の頃親に この条件付きの愛情を受けた人は
従わないと生きていけないと感じて
自分の甘えの欲求を素直に満たすことができないまま
大人になる
そんな同士の関係でも、必ず希望はあると信じる。
そのためにすることは、まず
自身の現在と
自身の過去と
逃げずに向き合い受け止めること。
タイトルの話に戻ります。
演じているのだから
本当に自分がやりたかったことじゃない。
僕は演じることで何を守りたかったのか。
守っているうちは
新しいことを始めているようでも
挑戦してる「フリ」なので
何も進んでいない。
この話を聞いた時、思わず苦笑いをした。
「行動力すごいですね!」
「いろんなことやってきたんですね!」
と言われることがあるが、
自分が今までやってきたことは、
もしかしたら全部
挑戦してる「ふり」だったんじゃないか?
靴職人の修行をして
離婚カウンセラーの勉強をして
セミナー講師としてコミュニケーションやコーチングを教えて
セミナールームのオーナーになって。
全部やりきれなかった。
自分の中の何かを守る(マイナスを回避したい)ためにそうしてきた
自分の中では決して挑戦(プラスの達成欲求)ではなかった
守りたかったものは
「いつも正しい自分」
僕は「責められている」と感じた時に
過敏に反応することにある時気づきました。
誰も僕を責めていないのに。
それから、「おとなしい」「面白くない」「喋らない」
というキーワードにも反応していました。
これ、一見違うメッセージですが
大元は同じだったことがわかりました。
人生の生き方を方向づけしたり、大人として社会や家庭で
生きやすくなるために、
僕たちは親や祖父母、社会の価値基準や生き方を受けます、これがしつけで
言葉によるものもあるし、行動をみて取り込む場合もあります。
この「〜しなさい」という<指示>が、
子供にとっては相手の伝えたかった
こととは全く別の
「〜してはだめ」という思いこみ
<禁止令>という言葉に
解釈されてしまうことがある。
そのときの子どもの本音は
言われたことなんて、意味がわからないし
やったらどうなるの?相手が喜ぶだけ
やりたくない
指示に素直に従えば済むのに 素直に聞けない
そこにある感情は「反抗、抵抗、萎縮」
でも、本当の気持ち「やりたくない」は
出せない
こんなこと言ってはいけない
親との関係が悪くなる(親に捨てられたら生きていけない)
無視、不安、恐怖・・
結果
自分の心の声からくる表現や行動は制限されて
言えない自分をもう一人の自分が
納得させるため
禁止令を自分にだす
そして禁止令に基づく行動をした時に自分は存在する意味があると感じる
1<指示> 急げ 要領よくテキパキと
<禁止令> 休んではダメ・ゆっくりしてはダメ
<行動・表現> 何かしないと落ち着かない、緊張、焦り、
2<指示> 努力せよ 努力してこそ意味がある
<禁止令> 満足してはダメ・楽しんではダメ
<行動・表現> 困難に耐える、一生懸命、結果は二の次
3<指示> 強くあれ
<禁止令> 感情を出してはダメ・弱みを見せてはダメ
<表現・行動> 強情、やせ我慢、我を張る、心開かない
4<指示> 完全であれ
<禁止令> 完全でなかったらしないほうがいい
何かしたら叱られる・満足してはダメ・失敗しては
ダメ・なめられたらダメ
<表現・行動> 完璧主義、カッコつけるが中身が伴わない、背伸
び、責められたらどうしよう、満足しない、できな
い箇所に着目、片付けできない、遅刻、引伸ばし
5<指示> 人を喜ばせよ
<禁止令> 自分を優先してはダメ・喜んじゃダメ・自分の欲求を言
ってはダメ・自分を大切にしてはダメ
<表現・行動> 自己犠牲、献身的、八方美人、自分を卑下、できな
いが言えない、自分の欲求に気づかない、居場所が
ない
この指示に従わずに、感情的に怒られた時 理不尽さを感じながら
「これをやると感情的に怒られるんだ」と
4〜5才で決め込んで これに縛られた生き方をする
自分を守るための呪縛
これにかかっていると
どういうわけか
満足したいのに満足できない
安心したいのに安心できない
便利でありたいのに便利にしない
快適でありたいのに快適にしない
優しくしたいのに優しくできない
本当のことが言いたいのに言えない
そんな自分にストレスを感じ
あーあ
なんで
どうして
やっぱり の心境になる
理不尽さを抱えたまま反抗的に生きる
問題はこれを無自覚、無意識でやっていること
解消するためには
本当はこうしたい を自覚すること
僕自身は
強くあれ
完全であれ
人を喜ばせよ
の指示に縛られている感がめちゃめちゃあてはまる。
そして、自分がそうだと
他人にも自分の価値基準を要求する一面がある。
よく思われたい、いい格好しいの自分
小学校の時、友達にダメだしや皮肉を言ってしまう自分
表情がなく、鉄仮面と言われた自分
自分がうまくできているか不安を感じていた自分
褒められても満足できない自分
自分がどう思われているのかとても気になる自分
何を考えているのかわからない謎の人と言われた自分
漠然とした不機嫌さの波を抱えていた自分
今日、川上さん機嫌悪そうだよ と裏でささやかれていた自分
わざとテストの点数を悪くしていた自分
生きにくさ全開の少年時代
よくここまで来れました。
高校くらいまで感じていた生きにくさの理由が
わかって楽になった。
そして
親の価値基準が子育ての形になるんだけど
これは親から子へ、子から孫へと受け継がれ
その結果
同じループが起こる
優しさを知らない親は子供に優しさを伝えることはできない、
一方で子供は
親の力を借りないと
親の価値基準に合わせないと
生きていけなかった、
ある程度成長してきたら
外へ出ろ
そして自分の価値基準と親の価値基準が
どこまで一致しているか向き合うこと
同じループを進むか
反面教師にするか
どうとらえるかで自分の価値基準が決まってくる
早く家を出たくて、高校卒業して東京に出てきて
自分の価値基準がなくて周りとのギャップに悩み
葛藤した。
でもそのわからない経験が自分の価値基準を作ってきた
のがわかった。
僕の両親は
褒めもせず
叱りもせず
何も言わない
自分のこと
自分の気持ちを言わない
指示、しつけが全くなかった
そんな親にも関わらず
僕の禁止令(〜してはいけない)はとても多い。
なぜだ???
もしかしたら
親が他の誰かに自分のことを言うのを聞いたり
親以外の学校や友達からの指示を受け取っていた
理不尽で権威的な教師にとても反抗的で
好かれなかった そこに親を見ていたのかもしれない
言われる相手も無限にいるので
受け取るメッセージも無限
いろんな人のそれぞれ違う価値基準に
振り回される
という考察をしてみた。
親に対しての感情を分析すると
不安→不満→自己嫌悪→怒り→諦め→楽
の順番で流れたような気がします
大人になってから「お前は何も言わない」と
親によく言われたが
(昔そっちが言ってくれなかったのに
今になってこちらのことだけ聞こうとしても言わないよ)
と思っていた。
これは今でも幾らかは思っている。
言っても全く理解できないだろう(お互いストレス)もあるし、
知って自分の不安を解消したいだけだろう
もある
親に対する感情はほぼ完了していることに気が付いたので
ほどほどに関係を保っています。
まとめ
彼を知り己を知れば百戦殆からず |
かれをしりおのれをしればひゃくせんあやうからず・ 敵の実力や現状をしっかりと把握し、自分自身のことをよくわきまえて戦えば、なんど戦っても、勝つことができるものです。なにか問題を解決するときも、その内容を吟味し、自分の力量を認識したうえで対処すれば、うまくいくものです。 |
自分がどのような禁止令を自分に課し
縛られてきたのかを知ることで、先に進めることができる。
でも自分を知らないと幸せになることはできない。
己を知るのが一番難しい。
こんな風に他の人の力を借りて出ないと自分はわからない、
自分を知れば、楽になりそうでしょ?
今の自分に生きづらさを抱えている人には『マインドグラフ〜心の年表』がおすすめです。⬆️